多言語
人間の脳は多言語を理解できるようにできている。ノームチョムスキーが発見した。構造として理解できるようになっている。あとは音の違いである。音を聞くことにより、人が伝えたいことは理解できるようになっている。言語とはそういうものである。言語が音ということは、音のまとまりと抑揚が大切になる。抑揚の違いによって方言となる。語尾も異なる。音は流れている。いろんな形になる。その形を切り取り、真似る、紡いでいく、その練習が必要だ。
音を聞き取って、文を把握する。その後に意味付けがある。意味付けは、相手の受け取り方によって異なる。自分が発した音に対して、相手がどのように反応するか。それを瞬時に把握する能力は既に人間にはある。言葉の構造としては一つ。それが何語で入ってくるかの違いは、音の違い。何語で出るかも音の違い。音の順番、抑揚、まとまりを合わせなければ、伝わらない。ただそれだけのこと。脳を開いて、グルグル回す、全力で。頭を回すことで、音を効率よく理解するようになり、多言語に反応できるようになる。
会話
会話から学ぶには前提が必要となる。前提が合っていないと会話が組み立てられない。前提が合っていると、率直に言葉で伝えなくても伝わる。その言葉の意味と周辺にある「ニュアンス」を感じ取る。
学ぶときに大切になるのは、いかにこの前提条件を多く持ち、相手に合わせられる幅を持つか、ということではなかろうか。知識や教養を得ることは、自分が立つ前提の幅を増やすことになる。この幅は学ぶことで広がっていく。学び続けることで、多くの前提条件を持つことになる。
前提条件を多く持つと、文化が異なる様々な人と、深みのある会話ができるようになる。前提条件が同じであるが故に、同じ物事をイメージできる。意思の齟齬が小さくなる。相手と心地よく会話できるようになる。これこそが学ぶ意義であろう。
前提条件を合わせるために、相手の人生の背景を知ることが大切だ。生まれ育った環境から前提条件は出来上がる。例えば日本人だと、小学校、中学校と、義務教育として、皆ほぼ同じ形式で学ぶ。そのため同じ背景をもち、同じ前提に立てる。しかし、他国とは文化が異なり、初めの前提条件が違う。それを意識していないと、会話が噛み合わない。相手の前提を想像する。自分と前提条件が異なると思うところは、説明する。個人の意見であれ、文化の違いであれ、言葉を尽くして説明する。
会話には、スピードが必要だ。沈黙はお互いにプレッシャーを感じてしまう。相手の言ったことをパッと理解して、自分ではどのように返答するかを判断して言葉にする。考えながら話すことにおいて、脳が自動化されている。この「クセ」といえる自動化を操ることで、相手に与える印象や、相手の行動を変えることができる。