年齢によって学び方が変わる。若い時は、夜遅く起きていても頭が回っている。年を重ねると、一度で記憶できることができなくなってくる。脳に定着する時間が、かかるようになってくる。それによって、どのように時間をかけていくのか、やり方が変わってくる。年を重ねることは、学びにとって、不利なのだろうか、有利なのだろうか。
行き先が決まってない奴は不幸だという。行き先が決まってる奴は言う。行き先が決まっていても、その行き先が間違いだったと気づくのが、人生最後であれば、それは不幸だろう。行き先が決まっていなくても、その都度、道を選択し、人生最後にこの道が正解だったと気づく。それは幸せなことだ。
ガッチリ目標を決めて、それに対して一心不乱に頑張るのか、はたまた状況を見ながら、波に揺られながら、ある方向を目指していくのか。
そこに光がある。光の下には宝がある。母は言った。そこに光がある。そこには宝はない。東に行くともう一つの光があり、そこに宝がある。友達が言った。
どちらを信じるのか。それは聞いた人への信頼度によって変わる。子供の頃は、両親の言うことが正しいと思ってる。でも、両親が万能でないことに気づく。日々経験を積んでいき、自分で考え出す。自分の経験から、友達が言ってることが正しいと思うことがある。そして、友達を信頼していく。
それは年齢によって変わっていく。誰を信頼していくか、社会と自分の距離を測りながら、社会の波に飛び出していく。人との出逢いによって、経験していく。どちらに進むのが、自分の道なのか。それは時代や環境や誇りが、決めていくものである。どの道を進むかは、その時の年齢によっても変わる。
身体の具合はどうなのか。身体は、日々変わっていく。年を重ねると、徐々に筋力が保てなくなっていく。日々、動くことに苦労するようになる。そうなったときに、自分は何を感じるのか。何かを成し遂げておくべきだったと思うのか。よくやったと思えるのか。それは、年齢によって積み重ねていった、日々の経験による。日々、学ぶ上で、年齢によって変化していく過程を感じ、創意工夫して学んできたか。それをどれだけ身に着けて、日々の生活に役立てていたか。ひいては、社会に、そして他人に対して、どれだけ貢献してきたか。年齢を経て振り返った時の道を、どれだけ誇りに思えるのか。それが大切である。日々の積み重ねが今に通じている。毎日、これ以上になく頑張ったと言えるなら、その日に試合終了でも、後悔は無い。